越後平野をみはるかす加茂山に鎮座まします青海神社は古くから「加茂のお明神さま」と広く親しまれております。青海郷を開拓した青海首一族は、郷内氏子の護り神として神亀3年(726)に祖神椎根津彦命(しいねつひこのみこと)と大国魂命(おおくにたまのみこと)をまつる青海神社を加茂山の山麓に創建しました。青海郷は、田上五社川から三条井栗、保内までの23箇村であったと伝えられ、加茂市一帯から多くの遺跡や古墳、平安時代の集落跡が発掘されております。

 桓武天皇の平安京へ遷都に当たり、京都の賀茂別雷神社賀茂御祖神社の神領となり、御分霊を当地にまつり「加茂大明神」と申し上げております。朝廷が延長5年(927)に編集した「延喜式神名帳」に青海神社二座と記載されているところから「延喜式内社」と言われております。


 慶長以前、上杉氏の崇敬厚く神領を寄進されました。新発田藩主溝口氏に至って社領の寄進、本殿等の造営をし、国土の平穏と五穀の豊穣を祈願されました。神社に社格が制定された明治5年、県内一号に「県社」に指定され、以来春季例大祭には県知事が参列されました。
 昭和36年9月16日に襲来した第2室戸台風により、神域は大被害を蒙り大杉が約200本も倒れましたが、今なお亭々たる老杉に囲まれています。これらの老杉は加茂町年寄浅野氏が34年間にわたって植林したもので、350年を経た現在も森厳の気は人の襟を正させます。

 古歌に
 “繁栄(むくさか)に立てる鉾杉見てもなお
          先ず仰がるる賀茂の大神”

   と歌われております。


■御神木(市指定文化財)
加茂山剣ヶ峰近くにあって樹齢千年を超える天然杉である。翁杉(じじすぎ)と呼ぶ。