新潟県美術博物館主催「橋本龍美展」

日   報   抄
昭和63年6月14日新潟日報掲載



 正直言って、橋本龍美さんの絵は、あまり売れない。というより売れる絵を描こうとしないのだ。山本丘人や加山又造なども加わる創画展の創立会員で、受賞歴も申し分ない。

 売れる絵を描けば売れるのに描かない。芸術を飯の種にすることに恥じらいを感じているようである。売れないから、背丈を超す程の大きな絵が家の中に、たまる一方だ。絵が家の中にあると、ついつい筆を取り出しては、手直ししたくなる。

 県美術館(新潟市)から「橋本龍美展」をやりたい、という話があってからは、なおのことだ。11日の開幕というのに9日、まだ、書き直していた。

 もう時間切れ、と9日夕方、最後の1枚を美術館のトラックが運び出したとき「待ってくれ」と追いかけてきた程だ。美術館も驚いた。図録と現に送られてきた絵とでは、大分違っているのがある。事前には「10蛙10踊」という話だったのにハスの葉のカエルは、8匹しか踊っていない。2匹は、塗りつぶされてしまったらしい。「2匹は飲みに行っちゃった」と橋本さん。


 橋本さんには、普通「特異の」「異色の」と言った形容詞がつくけれども、「望郷の」あるいは「郷愁の」日本画家というのはどうであろう。

 好んで描く「見せ物」「化け寺」「お化地蔵」と言った題材は、少々気味が悪い。(だから売れないのかもしれない)けれども、子供の頃の風景を、あやしいまでに美しく、よみがえらせてくれる。

 「望郷四季」は、27年前、夜逃げ同然に捨てた古里、加茂の街並みと人々の生活を描いている。橋本さんは「加茂松阪」のテープをかけ、声をだして泣きながら、これを描いたに違いない。新潟の民謡を聞きながら、この人は絵を描くのだ。


 レセプションでは、こんな挨拶をした。
 「特異とは、馬鹿ということ。これからも馬鹿一筋で参りたい」

 

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